教育改革の方向性
大学入試の時期となり、先日は「センター試験」も大きな混乱もなく終わりました。この時期、昨年から話題となっている「大学入試改革」および「教育改革」が再び注目されています。中教審(中央教育審議会)が昨年、答申した内容によると、新たな改革案では今の小学校6年生が大学を受験する2020年から実施されます。従来の試験からは大きく変更が行われることになり「暗記した知識の量ではなく、思考や判断など知識の活用力を問う」ことをめざします。試験は今のセンター試験のようなマークシート式のみでなく、一部に記述式を取り入れることや、年に複数回実施する一発勝負にならないようにするようです。大学入試センター試験を廃止して「大学入学希望者学力評価テスト」を年複数回実施し、各大学の個別入試も筆記の点数だけではなく、面接や小論文、集団討論などを活用して選抜するよう求める答申を、中央教育審議会が行いました。しかしこれに伴う、作問や採点をはじめ作業量はかなり多くなるので大丈夫かなという懸念もあります。これまでの記憶力を競う「知識偏重型」から、知識の応用力を競う「知識活用型」になるため、今後はますます「思考力・判断力・表現力」が問われます。大学入試のみならず、学校教育の改革の必要性の指摘もあり、今後大きな変革があることは確かです。詰め込み式の記憶主体のこれまでの教育からの脱皮を目ざすようです。少子化時代に向けて大学も生涯教育にも目を向けている昨今、変革は当然と思います。
反骨精神が養われない現代の教育環境
ゆとり教育の影響で全体の学力低下が叫ばれ、現在の大学卒業生の2/3は高校卒業レベルだという人もいます。明治維新以来、現代に至るまで日本の入学試験は、「本質的な意味はない客観性」が重視されてきました。その代わり、知識の「活用」、つまり抽象的な思考力に関しては主として学生個々人の反骨精神に期待するという教育がされてきたわけです。戦前は自由民権、社会主義、自由主義、そして戦後は安保反対から全共闘など、十分な環境がありました。そうした若者は就職すると「社会と和解」して、若き日に学んだ抽象的な思考力を、今度は企業や政府機関などの「組織の利害追求」のために、良くも悪くも見事に応用して、日本の経済と社会を発展させてきました。しかしながら現代社会では、「社会を改良するのは困難」という閉塞感が横溢する世相に加えて若者の人口自体が減少していることもあり、若者の反骨精神による自発性には期待できない状況になりました。昨年、ノーベル物理学賞を受賞したアメリカ・カリフォルニア大学サンタバーバラ校の中村修二教授が文部科学大臣と面会し、日本の大学制度について大臣が助言を求めたところ、「大学入試は入りやすいシステムにして、本当に大学で頑張った人だけが卒業できるようにすればよくなる。何かしない限り、永遠によくはならない。(略)」 中村教授は、日本とアメリカの研究環境の違いについて「日本には規制が多く、アメリカのような自由がない」と説明しました。また、世界の舞台で活躍するために若いうちに海外留学するなど、英語教育の重点を置くべきと述べられました。
有名大学卒業と昇進・昇格は無関係
社会にでて就職すると「昇進」「昇格」という言葉が付いてきますが、これも就業環境、雇用環境が大きく変わろうとする中で、当然変わっていくことは確かです。過日、著名な方が「正社員はいらない」という意味の発言をされましたし、職場の従業員構成も様々な雇用形態の方々と一緒に仕事をしていく多様化の傾向にあります。嫌がおうにも変わらざるを得ないのです。面白い話として、「どこの大学を卒業したかということが、入社後の昇進・昇格に影響を与えるのかと」いう疑問には、「ノー」というのが正解とか。もちろん、採用にはどこの大学卒業かとうことは大きく影響します。その理由は「同じ大学の先輩社員が活躍している人が多いので、彼(彼女)も活躍してくれるだろう」と期待して採用するのです。大企業には色濃く残っています。しかし、入社後は基本的に別です。出身大学は採用の際にはこれといった指標がないから見ていますが、入社後は学歴を指標にしなくても日々の仕事で評価できるので、いかに有名大学であっても結果を出さない社員は当然出世もしない。これははっきりしています。ですから、日ごろから、日々の仕事で実力を発揮し、自分のスキルの実態を把握しながら、強みをさらに磨き、弱みは改善する。このことをやり続けることが大事なのです。この努力がないことには、昨今の狭き門の昇進・昇格戦線には生き残れないのです。ビジネスパーソンのためのスキルアップ教育が盛んな理由はこんなところにあります。
ご健闘を祈ります。